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佐久間象山 再版
サクマショウザン
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長野市
1899
明治32年
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小此木 信一郎/著
オコノギ シンイチロウ
15
幕末の思想家・兵学者である佐久間象山の偉人史である。明治32年(1899)発行、同年3月再版。小此木秀野氏の遺稿で全13章。幕末期の混乱の背景にあるものの説明から始まり、象山の家系、少年期の様子、真田家に仕えてからの偉業、幽閉から釈放、そして暗殺されるまでが記されている。象山の幼少期はいわゆる腕白小僧ではあったが10歳も過ぎると漢詩や易学、砲術、算数、水泳、馬術など次々と修得していくほど才能のある子でもあった。18歳で真田幸貫の近侍となり、これが象山の転機となる。30歳で幸貫が老中海防掛になると、顧問となって西洋学を調査・研究することとなり、さらに象山の見識は養われていく。西洋砲術を学んだ後、藩主宛に「海防八策」を提出するなど、いよいよその力量を発揮。40歳で江戸に塾を開いて西洋砲術等を教え、勝海舟・吉田松蔭・坂本龍馬らが入門することとなる。このことは対外危機意識を持った青年たちにとって強い衝撃を与えた。ペリー来航後、43歳で松蔭の密航事件に連座して松代へ幽閉されるが51歳で赦免され、これまで養ってきた知識を基に公武合体と開国進取論をもって活動している最中、暗殺。この書の最後には、象山の「其本領」として以下のように書かれている。象山は幼い時より意気があった故、良く忍耐し能く勤勉した。非常の忍耐を持って非常の熱心で修学したのは、一身に国家のためになると信じていたからである。少年たちがこの書を読んで啓発すべきなのは、象山の大名ではなくその熱心や忍耐であると。
再版
N289/サクマ/35
東京
裳華房
1899
20,104,8,40p
小此木信一郎
オコノギシンイチロウ
1898
島田 三郎/序
シマダ サブロウ
沼南
1923
戸川 残花/序
トガワ ザンカ
戸川 安宅
トガワ ヤスイエ
1924
小泉 策太郎/跋
コイズミ サクタロウ
三伸
サンシン
1937
竹腰 与三郎/跋
タケコシ ヨサブロウ
竹腰 三汊
タケコシ サンサ
1950
巌本 善治/跋
イワモト ヨシハル
1942
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県立長野図書館