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強恕舘日録 明治30年4月1日~
キョウジョカンニチロク
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長野市
1897
明治30年
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花岡 馥斎/著
ハナオカ フクサイ
26
強恕館日録は若槻村東条(長野市)住、花岡馥斎(象山弟子)の文芸的書留帳である。 ○過ぎし一年、不左四郎、噫如何にせん如何にせん狂ひし駒に鞭打ちて、馴れし故郷あとになし、塵の都に入りにけり、早や一年となりにけり、花咲き薫り空はれて霞棚ひく春げしき、鶯来なく我宿に覚束なくも唯一人過ぎし一年思ひ遣り胸の氷りは解ぬなり(下略) ○象山先生の松の歌に、松を見よ露に時雨にそめぬれど何れの秋に紅葉やはする。天雲をしのぐばかりに生立し松は深雪の壓もいとはず(省侃言録感情百首之内也)。 ○花盛り山は日ごろのあさぼらけ 芭蕉翁 ○五月五日栗田村帰途中之作、善光寺外望無窮、麦畝菜畦西又東、正是黄金之世界、瑠璃大地一蹊中。○これやこの八重や万斜九良(山桜)盃にうかべて九重十重にや酔はなむ、復翁三十一山人。 ○孟母断機、しづはたを断ちてやいさむ垂乳根の親のこころぞにしきなりける
明治30年4月1日~
N950/62/3
東条村
花岡復斎
1897
59丁
清治,敬蔵,以敬,修巳斎及東条山人
1908
1
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県立長野図書館