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02BK0103231502
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強恕舘日録 明治34年元旦~
キョウジョカンニチロク
System.Int32[]
長野市
1901
明治34年
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花岡 馥斎/著
ハナオカ フクサイ
26
強恕館日録の明治34年元旦から3月3日までの分である。「強恕」とは「努力して恕の道を行うこと」で人を許すことに努めた花岡馥斎の雅号である。ここには、御題「雪中竹」の自作の歌があり、「復翁六十九才」「椒一作」「国香斎主人瑚璉與之(これよし)誌 時齢六十九」2月9日復翁作「先づすわれ座って飲めよ宇治山の木の芽は心しづむるものを」2月12日「児の妻おつよ身まかる、悲しきかな」などこの日録の筆者が素顔をのぞかせている。「維新の際における領土奉還は空前の美事なり、日清戦争における遼東還付は千載の恨事なり、両々相容れず」など自身の感想もみられる。このほか、師匠であった佐久間象山の書簡・漢詩や本の註書など多く、谷文晁筆睡布袋之図などについても記事にしている。単なるメモから日記的な「日録」になっている。
明治34年元旦~
N950/62/11
東条村
花岡馥斎
1901
32丁
清治,敬蔵,以敬,修巳斎及東条山人
1908
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県立長野図書館