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02BK0103231569
2
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強恕舘日録 明治35年元旦~
キョウジョカンニチロク
System.Int32[]
長野市
1902
明治35年
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花岡 馥斎/著
ハナオカ フクサイ
26
日録の筆者は若槻東条の花岡馥斎(フクサイ1833-1908)、号は以敬、修巳斎東条山人といい、佐久間象山の門下で、勝海舟や西郷隆盛らと交わつた人物である。この冊子の末尾に、菅公壱千年祭共祭会会員募集、会主花岡復翁・幹事花岡時治との記事があり、若槻辺の人名をたどって馥斎にたどり着いた。また「象山佐久間先生の神号”豊桜開別威稜高彦命”社号”象山神社”東城山人花岡以敬鋻誌」の記事もあり、復翁は馥斎であると確認できる。また「七十歳となって明治三十五年元旦の自賀”古しへにまれなる齢さすが得しけふは久禮竹の世に誇る哉 復翁筆」。わが娘の死を悲しむ文“遂に花とちりそのいのちもなくなりかへらぬ旅におもむきぬ。あゝかなしきかも。明治25年4月1日即ちそが初七日の逮夜といふにしるして手向けす。父花岡復翁”もある。
明治35年元旦~
N950/62/17
東条村
花岡馥斎
1902
35丁
清治,敬蔵,以敬,修巳斎及東条山人
1908
1
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県立長野図書館