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02BK0103231601
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強恕舘雑録
キョウジョカンザツロク
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長野市
1900
明治33年
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花岡 馥斎/著
ハナオカ フクサイ
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強恕館雑録の筆者は花岡馥斎(1833-1908)号は以敬、修巳東条山人。更級郡上氷鉋村十代田家に生れ若槻村東条花岡家の娘婿となり分家した。佐久間象山の門下、経書蘭学を学ぶ、江戸昌平黌に入り、勝海舟・西郷隆盛らと交わる、帰郷して「補仁塾」を開き、学制発布後、長野県第14中学区取締りとなる。この雑録の内容は、勝海舟の福島中佐を詠ずる詩、海舟翁一周忌の新聞記事、頼山陽・石川丈山の漢詩、盲目の学者塙保己一の発句「花ならば探りても見ん今日の月」西行・宣長の和歌、象山の白井楽山あて書簡、明治33年歌会始の御題「松上鶴」太田道灌蓑を借りる図に題す山下重民、応神天皇御降誕千七百年祭が府下北豊島郡長崎村御裳神社で本年12月14日執行の由、谷文晁の画に「見渡せば柳に桃に打ちまじり川面は春の錦さらせり」、私的なことでは母君の米寿を祝い奉るなど目に着くまま思いつくままに記録している。
N950/63
東条村
花岡馥斎
1900
23丁
清治,敬蔵,以敬,修巳斎及東条山人
1908
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県立長野図書館