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02BK0103514428
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木曽義仲一代記 全
キソヨシナカイチダイキ
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1893
明治26年
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牧 金之助/編
マキ キンノスケ
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木曾義仲(1154~84)は、帯刀先生義賢の嫡子(史実は2男)で、幼き時より宗族の残滅を憤り、長ずるに及んで、よく弓を射ることを身に付けた。治承4年(1180)以仁王の令旨を奉じて兵を集め、寿永元年(1182)越後の城長茂と戦って、これを破る。 つづいて倶利伽羅峠の戦いで、平家軍を破り、北陸道から逃げる平家軍を追って近江に入る。平宗盛大いにおそれ、一族を率いて西国に逃れた。義仲、京都に入り、従五位下に叙せられ、左馬頭に任命され、京師の守衛につき、旭日将軍といわれた。 当時、京の都は衣食の足りない状況に置かれていた。義仲軍は、しばしばこれを掠めることを行った。後白河上皇は、義仲を従四位下に叙し、征夷大将軍に任じ、征西を促したが、これに応じなかった。 上皇との不和から義仲征討の院宣を帯びた源頼朝は弟源範頼・義経を京上させ、宇治川の合戦で敗れた義仲軍は、信州を目指して逃げ延びる途中、股肱の臣多数敗走し、従者今井兼平とわずか二人となり、遂に近江粟津(滋賀県)で戦死したのであった。
絵本実録木曽義仲一代記,木曽義仲一代記,義中,木曾義仲一代記
全
N289/キソヨ/
東京
牧金之助(金寿堂)
1893
12丁
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県立長野図書館