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コンテンツ情報

詳細

資料コード:

02BK0103514428

施設番号:

2

資料種別:

5

タイトル:

木曽義仲一代記 全

タイトル(ヨミ):

キソヨシナカイチダイキ

サブタイトル:

サブタイトル(ヨミ):

分野:

System.Int32[]

場所(市町村名):

場所詳細:

緯度:

経度:

制作年(西暦):

1893

制作年(西暦)詳細:

制作年(和暦):

明治26年

制作年(和暦)詳細:

時代:

System.Int32[]

時代詳細:

制作者:

牧 金之助/編

制作者詳細:

制作者(ヨミ):

マキ キンノスケ

大きさ(㎝):

17

資料解説:

木曾義仲(1154~84)は、帯刀先生義賢の嫡子(史実は2男)で、幼き時より宗族の残滅を憤り、長ずるに及んで、よく弓を射ることを身に付けた。治承4年(1180)以仁王の令旨を奉じて兵を集め、寿永元年(1182)越後の城長茂と戦って、これを破る。  つづいて倶利伽羅峠の戦いで、平家軍を破り、北陸道から逃げる平家軍を追って近江に入る。平宗盛大いにおそれ、一族を率いて西国に逃れた。義仲、京都に入り、従五位下に叙せられ、左馬頭に任命され、京師の守衛につき、旭日将軍といわれた。  当時、京の都は衣食の足りない状況に置かれていた。義仲軍は、しばしばこれを掠めることを行った。後白河上皇は、義仲を従四位下に叙し、征夷大将軍に任じ、征西を促したが、これに応じなかった。  上皇との不和から義仲征討の院宣を帯びた源頼朝は弟源範頼・義経を京上させ、宇治川の合戦で敗れた義仲軍は、信州を目指して逃げ延びる途中、股肱の臣多数敗走し、従者今井兼平とわずか二人となり、遂に近江粟津(滋賀県)で戦死したのであった。

資料別書名:

絵本実録木曽義仲一代記,木曽義仲一代記,義中,木曾義仲一代記

資料別書名(ヨミ):

巻号:

全

請求記号:

N289/キソヨ/

出版地:

東京

出版者:

牧金之助(金寿堂)

版表示:

発行年月日:

1893

ページ数:

12丁

装丁:

著作権者別称:

著作権者別称(ヨミ):

著作権期限:

共著者1:

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共著者4:

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共著者5:

共著者5(ヨミ):

共著者5別称:

共著者5別称(ヨミ):

共著者5著作権期限:

コンテンツ種別:

1

二次利用条件:

1

コピーライト表記:

県立長野図書館

権利関係

CC0
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