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02BK0103514519
2
5
義仲勲功図会 前編 巻の5
ヨシナカクンコウズエ
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1833
天保4年
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山田 案山子/作
ヤマダノ カカシ
26
巻5の「兼遠書詐起請文条」では、木曾で義仲を育んだ中原兼遠は、都に召還されて、平宗盛に偽の起請文を書いて平家を欺くが、木曾に帰り出家する。かくて、続々と反旗をひるがえす反平家の趨勢のなかで、平家は源氏の山本兵衛尉らを打ち負かし、尾張墨俣川合戦でも源行家を破るが、かかるなかで、清盛は逝去する(「清盛入道逝去之条」)。 一方、木曾の義仲は、諸方の武将を招き寄せ、勢いを増していくが、その中で唯一人笠原平吾だけは、平家への恩義を感じ義仲に降伏しなかったが、ついに義仲がわに破れ、越後の城助永を頼って逃げ延びた。手強き笠原氏をやぶり、義仲の声望は高くなり、百姓・商人もその徳を慕うほどになった(「木曾殿仁智諸将皈降」)。ここに、越後に平家側の有力な武将城助永がいた。兵数万を率いて越後を出、千曲川河岸で義仲がわと対峙する情勢となった(「木曾殿与城助永い対陣条」)。
木曾義仲勲功図会,勲功図会
キソヨシナカクンコウズエ,クンコウズエ
前編 巻の5
N930/323/5
不明
石倉堂
1833
30丁
大和屋圭蔵,意斎,好花山人,好花堂,得翁斎,野亭,好花堂野亭,山田野亭,山田意斎,山田得翁斎,山田意斎叟,好花堂主人,好華堂主人,好華堂野亭,好華山人,野亭散人
ヤマトヤケイゾウ,イサイ,コウカサンジン,コウカドウ,トクオウサイ,ヤテイ,コウカドウヤテイ,ヤマダヤテイ,ヤマダイサイ,ヤマダトクオウサイ,ヤマダイサイソウ,コウカドウシュジン,コウカドウヤテイ,コウカサンジン,ヤテイサンジン
1846
葛飾 北馬/画
カツシカホクバ
有坂, 蹄斎, 蹄斎北馬,有坂北馬,有坂蹄斎,北馬,有阪蹄斎,光隆,五郎八,駿々斎,駿々亭,秋園
アリサカ,テイサイ,テイサイホクバ,アリサカホクバ,アリサカテイサイ,ホクバ,アリサカテイサイ
1844
1
1
県立長野図書館