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上杉武田川中島軍記
ウエスギタケダカワナカジマグンキ
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長野市
1887
明治20年
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不明
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その序文に、「攻城野戦行軍用兵の道、其蘊奥を極めたる者、独り北越の名将上杉謙信あるのみ、甲州の武田信玄稀世の名将なりといえども、謙信に及ばず」とあり、やや上杉に傾斜しながら、第1回の「発端」から、「第75回の「川中島合戦評論」まで展開する。 戦国期、信濃には木曾に木曾義昌、諏訪に諏訪頼重、松本に信濃守護小笠原長時、埴科・更級地方に村上義清などがおり、信玄に滅ぼされたり、或は信州を追われたりする。その攻防が武田と上杉の交戦と微妙に絡む。 最終的には、信玄により義昌・頼重は滅ぼされ、小笠原は国外追放され、村上は敗走して、越後の謙信を頼る。 永禄4年(1561)9月の川中島の戦いは、両雄の戦いの集大成であり、武田の有力武将信繁・両角豊後・山本勘助・初鹿源五郎などは戦死し、謙信の信濃進出は疎遠となる。
川中島軍記
カワナカジマグンキ
N209.4/82/
東京
西村宇吉
1887
208p
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県立長野図書館