/ 12
  • 1

  • 2

  • 3

  • 4

  • 5

  • 6

  • 7

  • 8

  • 9

  • 10

  • 11

  • 12

  • 回転角
  • 輝度
  • 彩度
  • コントラスト
  • ガンマ値
  •  / 12

Loading...

画像ダウンロード

ダウンロードするファイル形式を選択して、ダウンロードボタンをクリックしてください。

ファイル種別選択

引用について

引用機能は画像の任意の領域を切り出して、URLを生成する機能です。

画像上で切り出す領域を選択してから、「引用する」を選択してください。

輝度等の変更した値は引用には反映されません。

上図を登録します。

よろしければ「登録する」をクリックしてください。

登録に成功しました。
以下のURL・HTMLタグから画像にアクセスできます。

コンテンツ情報

詳細

資料コード:

02BK0103518247

施設番号:

2

資料種別:

5

タイトル:

木曽源公蹟跡碑名

タイトル(ヨミ):

キソ ゲンコウ イセキ ヒメイ

サブタイトル:

サブタイトル(ヨミ):

分野:

System.Int32[]

場所(市町村名):

場所詳細:

緯度:

経度:

制作年(西暦):

1835

制作年(西暦)詳細:

制作年(和暦):

天保6年

制作年(和暦)詳細:

跋

時代:

System.Int32[]

時代詳細:

制作者:

林述斎 /製文

制作者詳細:

制作者(ヨミ):

ハヤシ ジュッサイ

大きさ(㎝):

資料解説:

近江国(滋賀県)大津の義仲寺にある木曾義仲の彰徳碑の銘文で、義仲の一代、子孫木曽氏の概略、碑を建立した由緒を刻んである。碑は天保3年(1832)の建立であり、その碑文を天保6年に版行したものである。義仲寺は木曾義仲戦死の地であり、また松尾芭蕉の葬地としても知られる。建碑者は木曾義仲の子孫と称する葦原検校義長である。文は大学頭林衡(述斎)、銘は左近太夫林せい宇、書は男谷燕斎、題額は松代藩主真田幸貫である。いずれも当時それぞれの方面で一流の人々である。石井至穀は添付書で、「一代の四絶、一碑に集まる」といっている。

資料別書名:

資料別書名(ヨミ):

巻号:

請求記号:

出版地:

出版者:

版表示:

発行年月日:

ページ数:

装丁:

著作権者別称:

著作権者別称(ヨミ):

著作権期限:

共著者1:

共著者1(ヨミ):

共著者1別称:

共著者1別称(ヨミ):

共著者1著作権期限:

共著者2:

共著者2(ヨミ):

共著者2別称:

共著者2別称(ヨミ):

共著者2著作権期限:

共著者3:

共著者3(ヨミ):

共著者3別称:

共著者3別称(ヨミ):

共著者3著作権期限:

共著者4:

共著者4(ヨミ):

共著者4別称:

共著者4別称(ヨミ):

共著者4著作権期限:

共著者5:

共著者5(ヨミ):

共著者5別称:

共著者5別称(ヨミ):

共著者5著作権期限:

コンテンツ種別:

1

二次利用条件:

1

コピーライト表記:

県立長野図書館

権利関係

CC0
メニュー
サイドバー
前のページに戻る
次のページに進む
最初のページに戻る
最後のページに進む
画像の拡大
画像の縮小
ホームに戻る
幅に合わせて表示
高さに合わせて表示
画像左90度回転
画像を元の角度に戻す
画像右90度回転
画像を-5度回転
画像を5度回転
スライダーパネル
ページャーパネル