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02BK0104130257
2
5
戸隠山略縁起
トガクシヤマリャクエンギ
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長野市
江戸末期
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顕光寺
ケンコウジ
28
外題に戸隠山顕光寺略縁起とある。加葉仏説法(釈尊により説かれた経が、加葉(かしょう)等の学者に伝わった法)の宝窟鎮護国家の霊場とある。最初に学問行者が嘉祥3年(850)3月中旬に九頭龍と法華経などで問答し九頭龍が石窟に籠もり戸で封じ、山を戸隠山と名のる。そして修行者がたくさん訪れ窟が三十三所できた。続いて、天照大神(あまてらすおおかみ)の「天岩戸伝説」が書かれ、窟に隠れてしまった天照大神の窟の岩戸を手力雄尊(のたぢからおのみこと)が投げ、無事に天地が開けた、これも戸隠権現の威光である、また金剛杵の光は天地が開けた光を顕す為、顕光寺と号したとある。続いて、役の小角が戸隠山で修行し大蛇を窟に封じた。後に役の小角が封じた窟は九頭龍権現の窟である。と書かれている。窟は手力雄尊の分身であり、五穀成就福寿増長の神力がある。九頭竜権現は内には菩薩を秘し、外には霊蛇の形をしている。良縁などのご利益がある。このように大変霊験あらたかであると書かれている。最後に戸隠山顕光寺信州水内郡と書かれている。
戸隠山顕光寺略縁起
トガクシヤマケンコウジリャクエンギ
N181/5/
戸隠村
顕光寺
江戸末期
8丁
1
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県立長野図書館