Loading...
引用機能は画像の任意の領域を切り出して、URLを生成する機能です。
画像上で切り出す領域を選択してから、「引用する」を選択してください。
輝度等の変更した値は引用には反映されません。
上図を登録します。
よろしければ「登録する」をクリックしてください。
登録に成功しました。
以下のURL・HTMLタグから画像にアクセスできます。
02BK0104130364
2
5
正受老人崇行録 完
ショウジュロウジンスウコウロク
System.Int32[]
長野市
1877
明治10年
System.Int32[]
今北 洪川/纂訂
イマキタ コウゼン
26
飯山市上倉の正受庵主恵端(1642~1721)禅師の行跡とその教え(垂語)と漢詩(偈頌)が臨済宗円覚寺の禅僧今北洪川によって漢文で綴られている。「師いみな恵端あざな道鏡、一名的翁、信州飯山侯の庶子也、状貌は魁偉(並はずれて大きく立派)、気宇寛宏」と書き始め、15歳頃の師は皆から常軌を逸した風狂とみられる少年だった。19歳で江戸麻布の東北庵に入って出家、江戸に住むよう勧められたが固辞し信州飯山に帰り正受庵を結び、母と共に隠居し名利を求めずひたすら悟りを得る正行をした。その名声を聞いた駿河の白隠禅師が正受庵を訪ね、親しく正受老の指導を受けた。庵内に長物なし、弊衣蓬頭、唯咳声を聞くのみ、享保6年10月6日、「末後一句、至急難道、言無言言、不道不道、捨筆詠古歌、呵呵大笑而化」の遺偈を書いて死んだ。享年80歳、弟子の宗格が庵の傍らに葬った。文政2年、白隠は妙心第一座、道鏡慧端禅師とおくり名した。
ショウジュロウジンスギョウロク,ショウジュロウニンソウギョウウロク,ショウジュロウジンスウギョウロク
完
N181/100/
東京
擁万閣
1877
4,36丁
今北宗温,宗慍,洪川,真三郎,蒼竜窟,虚舟,案山子,今北
イマキタコウセン,ムネアツ
1892
山岡 鉄舟/書
ヤマオカ テッシュウ
山岡 鉄太郎,高歩,猛虎,一楽斎,曠野
ヤマオカ テツタロウ,タカユキ
1888
凡鳥/序
1878
慥斎居士/跋
1
1
県立長野図書館