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02BK0104130521
2
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信陽城主得替記(写)
シンヨウジョウシュトクタイキ
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江戸後期
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不明
25
著述年月、著者不明、毛筆で信州各城主が城地を得、城地を替えられたことを書き綴っている。天文(1532~1555)年中まで信州は小笠原・村上・木曾・諏訪の4大将が支配していたことから始め、天正10年(1582)7月17日、小笠原貞慶が深志城に入り松本城と号したこと、以下石川数正・康長二代、小笠原秀政・忠真二代、松平康長・康直・直政の三代、堀田正盛、寛永19年(1642)水野隼人正忠直が三州吉田から得替、三代後の水野忠恒が享保10年(1725)7月28日、月並みの御礼の為江戸城へ登った折乱気にて毛利主水を後ろから切り付け、御城騒動し、隼人は御預け、城主は松平(戸田)光慈が鳥羽から得替となった。松本城の他には、木曽福島の山村氏・千村氏のこと、天文22年(1553)武田晴信が山本勘介に命じ海津城を築き慶長5年(1600)森忠政入城、8年松平忠輝に。諏訪高島城、上伊那高遠城、飯田長姫城の得替も述べられるが、寛永を寛文に間違えるなど目につく。
信濃国城主得替記,信州城主得替記,信濃城主得替記
シナノノクニジョウシュトクタイキ,シンシュウジョウシュトイクタイキ,シナノジョウシュトクタイキ
N209.5/9/
不明
不明
江戸後期
20丁
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県立長野図書館