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02BK0104132337
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旅寝噂古郷之土産(一名諏訪騒動記二之丸大事件)
タビネ ウワサ コキョウ ノ ミヤゲ
一名諏訪騒動記二之丸大事件
イチメイ スワソウドウキ ニノマルダイジケン
System.Int32[]
諏訪市
1783
天明3年
System.Int32[]
不明
不明
江戸時代中期、信州高島藩(諏訪市)におこったお家騒動の物語である。「序」によれば、善光寺参りに来た備前岡山藩のある隠居が、青柳宿で道連れになった高島藩のある人物からの聞き書きということになっているが、これも作者の創作かもしれない。 高島藩(藩主は諏訪氏)では、代々千野・諏訪の二家が家老をつとめた。千野兵庫家は古くからの国人、諏訪図書・大助父子は藩主諏訪家の一門で、ともに1200石の同格でたがいに拮抗し、首席家老の地位も2家で交代逆転していた。 天明元年(1781)、千野兵庫は倹約令の失政をとがめられて隠居を命じられ、かわって諏訪図書・大助父子が藩政の実権を握る。いっぽう6代藩主忠厚には正室に子がなく、側室に、郡次郎・鶴蔵という二人の男子がいた。大助は渡辺助左衛門・近藤主馬らと結んで鶴蔵を世継にしようと画策し、反対する千野兵庫を切腹させるよう藩主に進言する。千野兵庫はひそかに出府し、親類の松平乗寛らに働きかけた。最初は不承知だった藩主忠厚は藩の粛清を決意し、諏訪大助に切腹、図書を永獄、をはじめ以下打首・永牢が命じられて解決した。忠厚は隠居し、軍次郎が藩主忠粛となった。本書にのる人名や処罰の内容などはくわしく、当時うたわれた狂歌も収められている。またこの間に、毒殺未遂事件・暗夜の湖水渡りなどかずかずの物語的な事件がもり込まれている。
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県立長野図書館