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科野さゞれ石 写
シナノサザレイシ
System.Int32[]
長野市
明治年間
System.Int32[]
橘 鎮兄/編述
タチバナ シゲエ
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『科野さざれ石』14巻補遺は橘鎮兄と渡辺敏によって大正2年(1913)会真堂から出版されている。この稿本のあとがきは、万延元年(1860)病床の橘鎮兄自身によって綴られている。それによると、自身の性癖で、家業の合間に信濃の名所旧跡を訪ね、鎌倉時代からの武士の居館古城砦などの由来を書き留めておいた、今年病に倒れたところ友人が訪れ出版を勧められ「細石」として出す事になった。「信濃路のたつきもしげき言の葉をかき集めたるさざれ石ぶみ」と結んでいる。その内容は、巻四 信濃知久間乞者橘鎮兄編述、城館役所寺社領主之事、城郭濫觴信州8城、信州6館、御料所4陣屋、私領役所13所、御朱印寺社領、信濃親方81人衆之事、巻六 小県郡依田・海野・和田・丸子等20所、佐久郡大井・伴野・龍岡・芦田・望月等39所、諏訪郡8所、伊那郡19所。筑摩郡30所、安曇郡12所、10郡〆222ケ所。慶長以来引払城館、佐久間家正統略系図などである。巻八 信濃大名家略系図、信濃国名産物。北信濃4郡名所旧跡。おのれ家の業ことにひまなき中、名所旧跡を・るついて鎌倉の御代の頃よりものにおふの将の居館古城の砦に至るまでいつの誰かれ住居していまにありなしの事を・・好事の人に伝聞ふるき鑑にもとづき国郡郷駅路の行程城舎のはじまり邨里の石高名産物異事のことまで見聞きにたり・・紙のはしにかきしるし置きぬ、ことし・病にたおれ床にふし・・の草にかや艸帋取り出してなぐさむる時友どちひとり二人とぶらひ来たりて・するあり、いづれもすすめて・・よといふままに病床に筆をとりて一・ことをしるし以て細石といふ巻末にはむかし庄郷公家の・・・・信濃国の支配まで冊中にある武将守護国司管領大名諸藩士までの本系を書きのせん・ものせしども病も・・・のあまり当時の城主10家の略譜を・・これも20余冊にも余り・・またいづれの折にか・・そのままにておきぬ。嗚呼くせといはんや好といはんやかかる病中に・・の苦労をいちはずまた後のそしりもかえりみ・・おかし、この書さざれ石と名付けけしも我ちくまかわの瀬に・・・ふるることなれど、あながちひとにしらせざるのためし好にてかふかし、・な・なくて七癖の・・の事なり、・くは見る人あらばつたなき我をそしり・・ことのありと□わらわれんことを恥じるのみ。万延にあらたむるとし・・病床に筆をとりていふ、信濃路のたつきもしげき言の葉をかきあつめたる佐ざれいしふみ
科野佐々礼石
N290/49/
不明
不明
明治年間
141丁
立花宋□,賢英,其一庵宋□
タチバナソウキ,タチバナシズエ
1877
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県立長野図書館