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02BK0104168133
2
5
浅間山焼候節書附
アサマヤマヤケソウロウセツカキツケ
System.Int32[]
1783
天明3年
System.Int32[]
不明
23
浅間山の噴火の記録は、『日本書紀』の天武15年(686)3月が初見で、平安時代以降の記録も散見するが、最大のものは、ここに報告される天明3年(1783)7月の噴火である。 死者約2000人ともいわれ、降灰は関東一円に及び天明飢饉の原因となったという(角川『日本史辞典』)。この天明3年(1783)7月の『浅間山焼候節書附』は、「上州吾妻郡牧川大湛水流失聞書、但白井村よりワキ利根川□□」のタイトルで始る。村毎に家数と人数の被害高が記入される。例えば、群馬郡村上村は「家20軒、人数不知」というように、家と人数の被害額が記入される。そのあとに、上州群馬郡荻原村の村方三役の被害報告、八幡山惣右衛門からの被害状況等々、個々の被害報告の写はあるが、天明3年の大噴火の全体の被害報告はない
N453.8/10/
不明
不明
1783
33丁
1783
1
1
県立長野図書館