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02BK0104168398
2
5
越後川中嶋名士武鑑
エチゴカワナカジマメイシブカン
System.Int32[]
1847
弘化4年
System.Int32[]
不明
18
上杉謙信は、桓武平氏の出で、その祖先をたどると、村岡五郎良兼の6代太郎景明の二男次郎景弘は相州(神奈川県)長尾に住して、その地名を氏とした。その何代か後、兄晴景を制した輝虎(謙信)は越後一国を平定する。 甲州(山梨県)の覇者武田晴信(信玄)と川中島で戦いを交えること5回、これら戦いや関東の北条との戦いで戦死した両雄の武将の足跡を記したのが、この名士図鑑である。 まず、長尾景勝と長尾景虎の両将にふれ、直江兼継や、信濃を追われた村上義清親子、川中島合戦で、討死した多数の諸将を称える。 後半では、「川中島武田勇士鑑」として、多田源氏の系譜を武田信虎とその子らにたどる。 「信虎大忠の家臣」として穴山太夫ら18人をあげ、さらに「川中島合戦」での武田勇士鑑として活躍した諸将の名をあげる。「勝頼天目山討死御供討死名前」もある。
川中島武田勇士鑑,川中嶋合戦武田勇士鑑,武田勇士鑑
N280/81/
不明
文精堂
1847
40丁
1847
1
1
県立長野図書館