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02BK0104169610
2
5
男さうし 1篇
オトコソウシ
System.Int32[]
長野市
1822
文政5年
System.Int32[]
何丸/編
ナニマル
23
『俳諧男草紙』の編者、茂呂何丸(1761~1837)は、江戸後期の俳人で、水内郡吉田村(長野市吉田)に生まれた。本名は茂呂一元、字は何丸。通称を治郎右衛門といった。若い頃は書画を好んだが、のち俳諧にめざめ、京都の高桑らん更に師事した。 芭蕉の『俳諧七部集』の注釈事業に従事し、長年の成果が『七部集大鏡』となり、何丸の名を高めた。編薯に前記の『俳諧男草紙』のほかに、『俳諧七部集』・『俳諧語』・『芭蕉翁句解参考』などがある(神津良子/編『長野県歴史人物大事典』郷土出版社刊 参照)。 『俳諧男草紙』は、文政3年(1820)~天保5年(1834)にわたる月院社何丸社中の俳諧を集大成したもので、9篇9冊の膨大な句集であるが、そのうち一・二・三・七の4篇が収集され、残存する。 『俳諧男草紙』一編は、幕臣で狂歌師・戯作者の太田蜀山人(1749~1823)の序文があり、ついで「尊朝親王御親筆 六条道場什物写の連歌二十五徳」が掲載される。ついで、小青軒抱儀の序文が続く。抱儀は「俳諧は、和歌の流れを汲み、連歌の法則を委しくあきらめ、一毫もをかすことなき、是を正風の蕉門とはいふなるべし」として『男草紙』の意図するところを表す。 一編の発句は、「浪がつく鴎の春も静なり」、続いて「夏草のつふれておかし足の豆」などが続く。最後に、「探題」として、猿左の「大根洗ふ人にかわりて水鶏かな」など六句が掲載される。
俳諧男草紙
ハイカイオトコソウシ,ハイカイオトコゾウシ
1篇
N913/79/1
1822
79丁
月院社,月院社何丸,小沢何丸,茂呂,一元,治郎右衛門,古連,漁村
ゲツインシャ,ゲツインシャナニマル,オザワナニマル
1837
1
1
県立長野図書館