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02BK0104170576
2
5
信濃村名
シナノソンメイ
System.Int32[]
1877
明治10年
System.Int32[]
小沢 桂二郎/編
オザワ ケイジロウ
7
明治10年(1877)3月現在の長野県新旧村名と大小区画をまとめたものである。当時の長野県は大区小区制を実施しており、県内を52の大区に分け、さらにその大区を346の小区に分けて行政を行っていた。この制度は明治11年1月の郡区町村編制法の施行まで実施されている。明治9年8月には長野・筑摩両県の合併が行われて長野県が発足。そこで旧長野県側を「北第何大区」、旧筑摩県側を「南第何大区」と分けるようになった。そのため、旧長野県側は村が多いのに対し、旧筑摩県側には町や丁があるなど、各県の行政の違いが見受けられる。内容としては、北は第1大区から第7大区までが佐久郡・第8大区から第11大区までが小県郡・第12大区から第13大区までが埴科郡・第14大区から第16大区までが更科郡・第17大区から第21大区までが高井郡・第22大区から第28大区までが水内郡となり、南は第1大区から第8大区までが筑摩郡・第9大区から第12大区までが安曇郡・第13大区から第15大区までが諏訪郡・第16大区から第24大区までが伊那郡となっている。また、会所とは大区会所のことで、扱所は小区扱所のことである。小区の後に記されているのが新村名で、その次に一字下げて掲載されているのが旧村名になる。
N290.3/16/
北深志町
飯島半造
1877
34,38丁
小沢桂次郎,小澤桂二郎,小澤桂次郎
1894
1
1
県立長野図書館