Loading...
引用機能は画像の任意の領域を切り出して、URLを生成する機能です。
画像上で切り出す領域を選択してから、「引用する」を選択してください。
輝度等の変更した値は引用には反映されません。
上図を登録します。
よろしければ「登録する」をクリックしてください。
登録に成功しました。
以下のURL・HTMLタグから画像にアクセスできます。
02BK0104170899
2
5
中馬関係書類集 1
チュウマカンケイショルイシュウ
System.Int32[]
1828
文政11年
System.Int32[]
不明
28
中馬は、初め農民の副業的な賃馬として、中部山間地を中心におこなわれていたが、江戸時代には次第に発達して、生産地と消費地とを付け通すようになった。そこで、幕府の許可を得て営業している宿場問屋の利権を次第に侵すこととなり、各地で訴訟が生じた。幕府では宝暦年中(1751~64)、御普請役元〆米倉幸内と御普請役高橋八十八を信州の村々に派遣して、中馬通行の道筋・荷問屋・物産の付送り状況・戻り馬の稼ぎを調べさせたが、地域毎に決めかねる状況であった。幕府は、明和元年(1764)12月、従来の仕来りを勘案して、中馬の荷物・場所の定法及び口銭、中馬稼の村名、その馬数を決めて申し渡した。明和の裁許状といわれるものである(『信濃史料叢書』24巻解題参照)。 この「中馬関係書類集」(1)は、「中馬出入一件願書集」で、宝暦9・12年、明和9年、安永3・6・9年(1759~80)の10数回に渡る伊那郡片桐村(上伊那郡片桐村)などと宿場がわとの間で繰り返された中馬をめぐる訴訟関係史料である。
1
N682/4/1
不明
不明
1828
75丁
1
1
県立長野図書館