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02MP0101802734
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尹良親王陵墓略図
ユキヨシシンノウリョウボリャクズ
System.Int32[]
1871
明治4年
System.Int32[]
増田 平八郎
マスダ ヘイハチロウ
32×43
南朝の後醍醐天皇の孫尹良(ゆきよし)親王は、応永31年(1424)8月、三河国に軍を進める途中、伊那郡波合村(下伊那郡阿智村)で北朝軍に破れ、戦死した。 この尹良親王陵墓は、波合村丸山の山頂にあるが、その素描絵図は、32×43センチの和紙1枚に、小山のような山頂を描き、その頂に陵墓を配置する。その左側に、兆域として仮柵東西5間余・南北5間3尺、陵は廻り20間余・高さ5尺余、陵の古碑は高さ9寸余・幅5寸余で、その印章は摩滅しており、判読し難い。 この略図は、波合村の名主・組頭・百姓代の村方三役が伊那県御役所へ書き上げる様式をとる。おそらく、維新政府の天皇制強調の図式からくる一大キャンペーンであろう。
N288/126/
浪合村
増田平八郎
1871
近藤 謙吾/著
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県立長野図書館