Loading...
引用機能は画像の任意の領域を切り出して、URLを生成する機能です。
画像上で切り出す領域を選択してから、「引用する」を選択してください。
輝度等の変更した値は引用には反映されません。
上図を登録します。
よろしければ「登録する」をクリックしてください。
登録に成功しました。
以下のURL・HTMLタグから画像にアクセスできます。
02OD5020410100
2
20
(熊倉新田夫遣不勤出人)
System.Int32[]
1708
宝永5年
System.Int32[]
熊倉新田は、私の親が開いて、毎年百姓1軒に3人ずつが作手伝いにくる例である。同様に二の倉新田は2人ずつ、大久保・赤渋は円太郎の祖父が開発して3人ずつ、それぞれ開発者の家を手伝うのが例である。ところが宝永4年(1754)5月熊倉新田の長三郎に頼んだところ、「そこもとへ遣わす人足はいない」という。そこで年寄・組頭から上様へ吟味をお願いして、人足は来ることになったが当日になると来なかった。長三郎の言い分は、「惣百姓に言いつけたが行かない。拙者の了見ではどうにもならない」という返事である。「熊倉新田は4年以前よりわがままをいって迷惑しているので、なにとぞ惣百姓を呼び出し、前々通りに仰せ付けください」というものである。柏原村役人から福田清兵衛・小野里十助(飯山藩か)へ出した訴状である。「宝永5年7月17日これを書く」とある。この文章は下書きで、なん個所か挿入語句がある。この訴状は出されたが、取り上げられなかったらしい。
1
1
県立長野図書館