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(諸書類一括)-5
タマリジョウゾウホウ
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諸書類一括の文書で、最初は「御水帳」の表紙のみ。水帳は検地帳や土地台帳、または人別帳の事。次は明治18年(1885)の「議事書」の下書きで、為替手形が普及しない原因や、手形、約束手形の効用、その流用を拡張する方法案についての内容。「為替証」の下書きは、右の金額五円を第19銀行東京支店へ渡されたい旨の黒沢、島津の連名で箕輪殿宛となっている。裏書きは表面の金額を同銀行の長野支店、又は同人差図人へ渡されたい旨の記載があり、明治18年1月23日第19銀行長野支店。次に、明治18年3月の柏原組北海高社の荷物運送品と、その数量の記載文書で、品物は四十物(あいもの)、綿、紙、麻など300駄。荷物は高井から大笹峠を越えた。明治16年には米、塩など250駄を含み合計7216駄を運んだ。次に共有山林場区分案図があり、次に「記」で明治17年1月より12月までの継立総計6000駄と内訳(米、大豆、小麦、府大豆、豌豆、酒,酒粕、塩、石油など)。次に当駅分店中村市郎治の明治16年度分の荷物と運送駄数の文書で、肴、塩、莨、石油、紙、麻など3495駄。17年度分は3034駄運ばれた。次に管下に集散する商品(箱詰又は菰詰の類)40種ほどの書上げ文書。次に籾、米、酒、塩などの1俵当りの地域別数量の文書。次に山屋喜代右衛門の明治16年から17年の運送駄数などの文書がある。運搬量は明治16年から急減した。
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県立長野図書館