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川久保田水一切無之写
カワクボタミズイッサイコレナシウツシ
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1695
元禄8年
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川久保証文「一札の事」で、川久保証文持主四郎兵衛と裏書にある。元禄8年(1695) 5月の文書で、内容は、以前より大滝湯の入下たれ下り川久保両所の用水の件、その上流にて大勢の者が新田を耕作し、川久保新田に水が全く来なくなってしまった。そのため4年前水争いとなり、柴津村の両庄屋衆、長(永)江村覚兵衛が、立会い話合ったが折合いが付かず難しいことになっていた。当春まで延び延びになっていたが、当村の組頭やその他の者たちが立会い、土手下の屋地、貴殿のぬるめ所の水を今後はずし、捨て水など調べ、それでも水不足であれば、青田のときでも下流に新堰を掘って、水を通すことになった。このように和談して、新堰を掘る際には決して文句を言わないことを約束している。元禄8年5月に田地堀主権左衛門外7人、扱人義左衛門外6人が、四郎兵衛殿へ宛てた下書きの文書である。
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県立長野図書館