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乍恐以書付奉歎願候(約束不履行願出) 儀右衛門→
オサレナガラカキツケモッテナゲキネガイタテマツリソウロウ(ヤクソクフリコウネガイイデ)
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1869
明治2年
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明治2年(1869)11月笠原村(中野市)の儀右衛門から当支配所(旧中野陣屋)宛の嘆願書である。概略は「嘉永6年(1853)飯山藩内の奥手山村(中野市)の富吉から合計高6石6斗9升8合7夕の地所を3ヶ年季金百両で質物に取った。富吉から小作入りの籾は57俵2斗3升だが内40表づつ毎年私方で受取り、残り17俵2斗3升は年貢や諸役の為に富吉が負担する約束だった。所が連年少しの籾代金が入ったのみで滞ったので厳しく催促しても相手は取合わないので、役所へ嘆願しょうとした所私の親父の子分で飯山藩役人へ出入りしている者に頼み飯山藩へ内々嘆願した処内済にしろという事だが、私は承諾出来ないので富吉を御当県(旧中野陣屋)へ呼出し約束を守る様説得して頂きたい。」とある。此の時期は明治政府が発足したばかりで行政が混乱していて役人も明日の事は判らないような状態だったと推察される。又他領の者には冷たい扱いをしている様子が良く判る文書である。
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県立長野図書館