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頼母子講金請取証文[その他] 中村六左衛門→
タノモシコウキンウケトリショウモン(ソノホカ)
System.Int32[]
1865
元治2年
System.Int32[]
金銭借用に関する記録である。大多数は頼母子講など講に関する借金証文等で文政11年(1828)の5両から明治32年(1899)の50円までの借用証24通。大部分が中村六左衛門か他一名宛てとなっている。大金なのは安政2年(1855)善光寺阿弥陀院町きた屋久右衛門が中村六左衛門、徳左衛門から200両を金利1割1分10ケ年賦で借用。慶応元年(1865)古海村七郎右衛門が同二人から115両を、弘化3年(1846)与三右衛門が名主定之助から60両を金利1割16ケ年賦での借用となる。明治14年中村六左衛門の請人で北村方義が講の世話人である古間村の高橋清蔵から講金40円を借用もある。他には講の株の譲渡文書、抵当権の設定・解消に関する委任状など数通。 書面上の講は赤渋雲龍寺、柏原明専寺をはじめ資産家が発起人、世話人となったものが目立つ。変わった書状で中村菊五郎が高田瑞泉寺の宮殿の修繕であろうか20円の寄付状がある。
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県立長野図書館