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継馬日計帳 柏原宿→
ツギウマニッケイチョウ
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1870
明治3年
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表紙は、庚午7月上15日「継馬日〆帳」柏原宿(原帳)。柏原宿と古間宿は合宿で、月の前半を柏原宿、後半を古間宿が人馬の継立を行っていた。宿役人には問屋と年寄がいて、宿継人馬や荷物を差配したが、その下に実際の指示や切り廻しをする馬指と帳付けがいた。人馬は原則として隣の宿場まで運んだが、その運び賃は駄賃と言われ、幕府で公定した賃銭であったが、年々上昇し高くなっている。そして天明以後、公定の賃銭を割増して、その1割を上納するようになり、日〆帳が作られた。それがこの日〆帳で、帳付けが毎日の宿継の人数や伝馬の数を記録したのである。庚午は内容から明治3年で、7月1日から15日までの人馬宿継の数が、全部1日ごとに記録されている。1日なし。2日上り高田藩吉田清八殿、3分増本馬2疋定立 3分増軽尻1疋定立。3日上り新潟高社掛 平田与七殿3分増軽尻1疋定立。以下15日まで略すが、1日から15日までの合計は、馬85疋で皆合対賃銭の3分増、内訳は、馬85疋定立で、上り本馬6匹軽尻12匹、下り本馬50疋軽尻17匹。最後の合計の前に、右の通り馬を相立て定賃銭請払いが済んだ旨の文言と、日付の庚午7月、元〆役六左衛門と勘定役喜左衛門の署名がある。
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県立長野図書館