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02OD5160540000
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金銭出入指引并損分弁金覚
キンセンデイリサシヒキナラビソンブンベンキンオボエ
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1807
文化4年
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文化4年(1807)3月、北国街道柏原宿本陣問屋中村六左衛門は、野尻宿石田津右衛門、越後新井宿和田七郎右衛門と共に、加賀金沢藩から通し馬を請負った。通し馬は宿場毎に荷物を継ぎ替えず、目的地まで同じ馬を雇って行くものである。この場合は金沢藩主の江戸参勤に際して、越後市振から信州新町(あらまち)宿迄の通し馬と思われる。本帳面は、通し馬請負いに要した諸雑費の金銭出納帳である。「覚」として、「25両・中勘(中間勘定か)到来の節受取。金50両・伝兵衛より。3両・和田より。1両・石田より。2両・雪堀金子35両の内」その他受取金額と受取先が列記され、受取金総額は129両1分となっている。続いて「3月13日・1両、銀蔵へ渡。3月13日・1両2分、吉郎右衛門渡。3月19日・関山へ渡」等、支払額と支払先が明細に記されている。帳面の末尾に「右の通り和田(七郎右衛門)へ相渡しおき申し候。委細勘定は帰村の節、致すべきこと」とあり、六左衛門の記名押印がある。日付は卯(文化4年)4月で、なお「通し馬一件の諸帳面・書物等、残らず和田氏へ引渡しおき申し候」の追記がある。
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県立長野図書館