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姫川端馬調帳 柳沢充三郎・丸山彦右衛門→
ヒメカワハシウマシラベチョウ
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1859
安政6年
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安政6年(1859)10月、加賀金沢藩前田筑前守慶寧(よしやす)の江戸からの帰国に際して、北国街道柏原宿本陣問屋中村六左衛門は野尻宿石田津右衛門、越後新井宿和田七郎右衛門と共に、牟礼宿から越中境迄の通し人馬を請負った。この帳面は表紙の「姫川端馬調帳」という記載から見て、越後姫川端から境迄を担当する馬士(馬方)と馬数を記したものであろう。その他表紙には「懸り、柳沢吉三郎・丸山彦右衛門」の記載がある。帳面の内容は「源五郎下・左衛門、孫七、甚六、勘助(中略)計・源五郎下57匹」「大助下・市次郎、民蔵(中略)計・8匹」「八郎次下・善四郎、九郎治(中略)計・4匹」のように、親方とその配下の馬士および馬数が記されている。総計は記されていないが、計算すると馬123匹(馬士123人)である。なお前田慶寧は金沢藩第13代藩主前田斉泰の嫡男で、後に第14代藩主になった人物である。
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県立長野図書館