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松平稠松様御曾祖母様御通行継立覚
マツダイラチョウマツサマオンソウソボサマゴツウコウツギタテオボエ
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1863
文久3年
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寛永12年(1635)に始まった参勤交代も227年後の文久2年(1862)に3年に一度の参勤に弛められ又在府を強制されていた妻子も国元に帰る事が自由になった。これはその翌年文久3年3月24日越中富山藩第13代藩主前田利同(としあつ)曾祖母が北国街道大古間宿から柏原宿(何れも信濃町)通行時の人馬継立柏原分の覚である。宿次は柏原宿と大古間宿は半月交代で下15日は大古間宿で勤めるが大古間宿は宿場規模が小さく柏原宿が一緒に継立を行なっている。文書には「両掛・竹馬(合羽掛)引戸・垂駕籠」等の人足18人で内訳は仁ノ倉新田9人・熊倉同2人・赤渋同3人・町4人である。大久保新田は人足2人、馬1疋が間違いで出役しなかったとある。又本馬・軽尻合計24疋の出役である。幕末帰国する大名やその家族で宿場は繁忙を極め宿場の御伝馬役のみでは間に合わず近郷の新田まで駆り出されている。「覚」として肴、酒、内山紙、茶代等の雑費が記載されている。
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県立長野図書館