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諸国名所百景 信州桔梗ヶ原
ショコクメイショヒャッケイ シンシュウキキョウガハラ
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2代目安藤広重
ニダイメアンドウヒロシゲ
36×24
江戸時代の浮世絵師、二代歌川広重による錦絵の揃物「諸国名所百景」の一つ。初代広重の門人で、師の亡き後その画風を継承した二代広重が、安政6年(1859)から文久元年(1861)にかけて制作した。版元は、初代広重晩年の作「名所江戸百景」を出版した魚屋栄吉。「桔梗の原」は天文年間(1532~55)に武田信玄と小笠原長時が相対した合戦場で、左にある「勘助子そだての松」は、合戦の最中に山本勘助が乳児を救い、その根元に置いて戦の後に戻ったところ、松の葉から落ちる雫を母親の乳房から出る乳のように口に含んでいたという伝説がある。その後、中山道の一里塚が築かれた。江戸日本橋の基点から59番目、江戸へ55里、京へ85里の道標で、塩尻市宗賀平出には、道を挟んだもう一方の塚が松の木とともに残されており、現存する数少ない一対の一里塚である。絵では、桔梗の花咲く道端に座り、一服する旅人の姿もある。
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長野県立歴史館