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コンテンツ情報

詳細

資料コード:

03OD0621100100

施設番号:

3

資料種別:

20

タイトル:

尾崎飯山城築始之記 写

タイトル(ヨミ):

オザキイイヤマジョウチクシノキ ウツシ

サブタイトル:

サブタイトル(ヨミ):

分野:

System.Int32[]

場所(市町村名):

水内郡

場所詳細:

緯度:

経度:

制作年(西暦):

制作年(西暦)詳細:

制作年(和暦):

制作年(和暦)詳細:

時代:

System.Int32[]

時代詳細:

制作者:

制作者(ヨミ):

大きさ(㎝):

資料解説:

これは『丸山文庫』の一史料である。以下、特に断りの無い限りすべて『丸山文庫』の史料である。最初に「尾崎三桜城之事」として「尾崎之城ハ文治元年(1186)普請成就して三桜城となり、城主は泉ノ小次郎親衛で、清和源氏の系統である」とし、城主世代は19代までで、のち「羽州米沢上杉家に勤仕した」とある。飯山の地においては、「飯山御城主代々」として、天正10年(1582)より森庄蔵から稲葉彦六・永井源四郎・岩井信能・関一政のあとは3年間御料所となり、のち、皆川広照・堀直寄・佐久間三代と続く。続いて松平二代、永井直敬・青山幸侶・本多助芳以下康明・助有・助盈・助受・助賢・助実・助成・助寵と八代続く。このあと、「信濃国水内郡尾崎城由来」として、尾崎城の沿革が述べられ、「覚」として「尾崎之泉の八幡宮」等が述べられる。最後に、「飯山城主記」として、天正10年(1582)の森庄蔵入城までの経緯が述べられ、あとは前述の領主の変遷が記述される。

コンテンツ種別:

1

二次利用条件:

1

コピーライト表記:

長野県立歴史館

権利関係

CC0
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