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03OD0621101500
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安茂里村誌 写
アモリソンシ ウツシ
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水内郡
1870
明治3年
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岡村言麿 鑿抗堰歌并岩下貞融正覚院
ここには、①明治3年(1870)岡村言麿の「鑿坑堰歌」、②文政7年(1824)の水内郡久保寺村(長野市安茂里)の山王権現と小市村(長野市安茂里)の諏訪大明神の「神宣文」と「告文」、③天保12年(1841)の「正覚院記」の3点が盛り込まれる。①は明治元年6月中旬から7月下旬にかけて犀川の流れに異変がおき、村人の生活に被害が生じたので、各村から11人が動員されて修理がおこなわれたことに言及する。②では、久保寺村の山王権現と小市村の諏訪大明神の神宣文と告文が記載される。 ③では、水内郡久保寺村にある真言宗正覚院の沿革につき、岩下桜園が記述する。この寺の正式名称は慶紫山正覚院月輪寺で、天台宗の月輪寺の旧跡である、という。上の堂と下の堂があり、この二堂は元和(1615~24)のころの建立である。本堂は文化4年(1807)に炎上し、まもなく再建された。
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長野県立歴史館