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03OD0621101700
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(水内郡)仁科氏系譜 写
ミノチグン ニシナシケイフ ウツシ
System.Int32[]
水内郡
1875
明治8年
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仁科甚十郎
ニシナカンジュウロウ
明治8年(1875)4月、水内郡新安村〈長野市芋井〉皇足穂命神社の祠官仁科甚十郎(近世、飯綱神領100石の領主)が自己の家系を長野県参事楢崎寛直に書き上げたものである。桓武天皇の後胤平相国清盛嫡男重盛―資盛―妙覚〈文覚上人弟子〉―盛兼―盛朝―盛元―盛廣-盛長―盛忠―盛国〈仁科弾正少弼〉-盛房-持盛―盛直-盛胤-盛能-盛康(仁科修理亮)-盛政〈仁科右衛門太夫〉-盛清(仁科甚十郎、天正6年正月武田勝頼ニ従イ平氏ノ嫡孫仁科ノ正系タル為武田家持チ槍ト詔ス、仁科甚十郎ト云ウ姓名目録之朱印ヲ賜ウ)-盛正〈仁科民部〉―盛吉(仁科玄蕃)-盛久(仁科玄蕃)―〈仁科玄蕃〉-盛重〈仁科右近〉-盛嗣(仁科玄蕃)-盛常(仁科右近)-盛林〈仁科玄蕃〉-盛亨〈仁科甚十郎、82才死去〉―盛長〈仁科甚十郎〉-盛保〈仁科甚十郎〉に至る。
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長野県立歴史館