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03OD0621501900
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(更級郡)康楽寺文書(1) 5通 写
サラシナグン コウラクジモンジョ ウツシ
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更級郡
塩崎村
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更級郡塩崎村(長野市篠ノ井塩崎)にある浄土真宗の寺院。白鳥山報恩院。親鸞の高弟西佛坊浄寛(寛明)の開創で、小県郡海野庄白鳥(東御市)に堂宇を建立。2世の浄賀は『親鸞聖人絵伝』を著す。弘治年中(1555~58)に現在地に移る。永禄11年(1568)信玄から寺領80貫文を安堵された。本山直末寺院。同寺の所有する戦国期の文書が「康楽寺文書」である。1・2 永仁第三暦 康楽寺の根本奥書 (執筆覚如、画工法眼浄賀) 3 慶長5年12月 康楽寺宛森忠政安堵状(慶長5年〈1600〉12月、森忠政は更級郡康楽寺に宛て、其の居屋敷と町外7町余を安堵し、諸役は先々の通り免除した)。 4 天正10年2月 康楽寺宛森勝三長可禁制(天正10年(1582)2月、森長可は更級郡塩崎の康楽寺に対して、①甲乙人が乱妨狼藉をしてはいけない、②竹林を伐採してはいけない、③喧嘩口論をしてはいけない等5カ状にわたり禁制を出している。) 5 年次不詳(永禄11年カ)7月 康楽寺宛武田信玄高札 年次不詳(永禄11年カ)の7月、武田信玄は、甲州と信濃の軍勢に対し、更級郡塩崎の康楽寺に対しては乱妨狼藉をしてはいけない、と高札を出した。 6 永禄11年8月 康楽寺宛武田信玄安堵状(更級郡塩崎の康楽寺に対して、武田信玄は本領80貫を前々の如く安堵し、越後出陣のときは野武士2人を出す事を命じた)。
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長野県立歴史館