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松城通記 巻之四信之譜 附録巻之一 信繁伝記 二冊 写
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埴科郡
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「松城通記付録 巻之一」は,Ⅰ左衛門佐信繁伝記(真田幸村伝記)、Ⅱ滋野世紀付録巻之二(海津之城之事蹟)、Ⅲ滋野世紀・付録巻之三(此巻には当家累代の感状と其の外の古文書を集める)の3点が盛り込まれる。Ⅰの信繁伝記を簡略に記す。①信繁は、安房守昌幸の二男で、永禄10年(1567)生まれ、母は兄信之と同じ。②天正8年(1580)北条氏政、上州沼田へ出張のとき沼田城に篭城、14歳にして初陣。③慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦にさいし、信繁は父昌幸と共に石田方に味方する。兄信之の身命を賭しての嘆願で、信繁は父昌幸とともに紀州高野の九度山に蟄居。④慶長19・20年(1614・1615)の大坂冬・夏の陣で大坂方で奮戦し、信繁(幸村)は戦死する。Ⅱで「海津之城之事蹟」をみる。①埴科郡県庄松井郷藤沢里海津城は、天文20年(1551)甲州の武田信玄の家人山本勘助に命じて川中島の内、清野屋敷を城に築く。この海津城の場所については異説が幾つかある。②弘治2年(1556)小山田備中守昌辰が海津城に移り、その跡には春日弾正が居住するという様に。城主の変遷は目まぐるしく、元和8年(1622)の真田氏の入封後は、代々の真田藩主が城主となる。③4代藩主信弘の享保14年(1729)の松城入封でここでの記述はおわる。Ⅲでは、前述のように、当家累代の感状などの古文書が転載される。
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長野県立歴史館