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コンテンツ情報

詳細

資料コード:

03OD0621601800

施設番号:

3

資料種別:

20

タイトル:

[松代郷士] 写

タイトル(ヨミ):

マツシロキョウド ウツシ

サブタイトル:

サブタイトル(ヨミ):

分野:

System.Int32[]

場所(市町村名):

埴科郡

場所詳細:

緯度:

経度:

制作年(西暦):

制作年(西暦)詳細:

制作年(和暦):

制作年(和暦)詳細:

時代:

System.Int32[]

時代詳細:

制作者:

制作者(ヨミ):

大きさ(㎝):

資料解説:

信濃国筑摩郡深志(松本市)の城主小笠原大膳大夫政康の六男大日方弾正忠政が水内郡古山(小川〉城主の初代である。天文15年(1546)大日方直忠のとき、甲州武田家に属した。直忠に男子五人がいた。長子は早世し、次男から四家に分かれた。三男は安曇郡千見城主大日方佐渡守直基と称し、五代又左衛門直利は水内郡小根山村(小川村)に居住し、持高のうち37石は諸役御免になり、境目取締りを申し付けられた。次男の直宗とその子は武田家に属し、その子源太左衛門は更級郡竹生村に引篭もり、郷士と称した。4男大日方内膳亮直龍は花尾村〈小川村〉の内天神条の砦を譲られ、代々郷士として同村に居住したが、寛永年中(1624~43)真田家から知行100石を与えられ、その一族が花尾村に移住し、郷士となった。また、5男の大蔵左衛門直定の子孫は、真田家に召され、知行100石を与えられた。その一族は、郷士として代々上野村(長野市)に居城した。その外、郷士として埴科郡清野村(長野市松代)の近藤織右衛門、水内郡三輪村(長野市)大田嘉右衛門、更級郡丹波島村(長野市)柳島喜代三、更級郡広田村(同)小林健治、更級郡境新田村(同)丸山国蔵、水内郡新町村(同)久保文之助、埴科郡芝野村の堀田重蔵、更級郡東福寺村(長野市)荒川九郎八、水内郡笹平村(同)村田助次郎、更級郡有旅村(同)坂巻専左衛門、同原村(同)小山準平、埴科郡雨ノ宮村〈千曲市〉白井伊兵衛、更級郡四ツ谷村〈長野市〉白井右兵衛、高井郡保科村〈長野市〉大島織之助、更級郡東福寺村(同)和田新兵衛、水内郡橋詰村〈同〉我妻宗左衛門、埴科郡鼠宿村〈坂城町〉室賀八左衛門、更級郡力石村〈千曲市〉児玉九兵衛、水内郡久保寺村〈長野市〉雨宮正吉、埴科郡矢代村〈千曲市〉武田新左衛門、更級郡東福寺村〈長野市〉河野久七、同郡田野口村小林軍蔵、同郡原村井口悦二郎、水内郡後町村深美源八、同郡差出村長田孝兵衛、更級郡有旅村柳島久□〈以上、長野市〉等がいる。明治5年(1872)の松代領副戸長矢野唯見・横田数馬によって書き上げられている。

コンテンツ種別:

1

二次利用条件:

1

コピーライト表記:

長野県立歴史館

権利関係

CC0
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