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松原社古文書 写
マツバラシャコモンジョ ウツシ
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小県郡
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寛保元年(1741)10月、御公儀より御尋ねに付、書上の写。佐久郡松原村(小海町)諏訪上下大明神影向は、39代天智天皇の時、児玉石を泣かせたということで湖水と成り、鎮座ましますとの伝来がある。毎年、寒中湖水氷上の神渡りのことは、浮木明神といわれ、7月((ママ))27日の神座山神事に行なわれた。これにより影向の不思議眼前の証拠とあがめ奉る事は、毎年の祭りでおこなわれる。上の宮の神前槌鐘銘文をみよう。長4尺2寸で、銘文は「右志者為法界衆生往生極楽也」とあり、寛元((寛文ヵ))2年(1662)7月7日の日付がある。また、本師阿弥陀如来・観音・勢至の一光三尊像は、建長元年(1249)10月3日の鋳造。不断念仏始之勧進法阿弥陀仏 大檀那は源朝臣光長と諸檀那。大工伴長。弘安2年(1279)8月15日。大勧進法阿弥陀佛 勧進説法者は2人(念阿・堂宝)山宮大神棟札年号永禄4年(1561)8月吉日 大檀那伴野相模守・大本願真如坊権大僧都祐宣 別当神光寺境内本地堂棟札之事 永禄4年10月16日 大檀那伴野相模守・大本願真如坊祐宣 同所三重宝塔真住書付は建久5年(1194)10月15日 山門之末院松僧山真如坊神宮寺は文明2年8月修造とある。右上下大明神宝物等上之宮宝殿に納置。50余年以前3月御宮焼失、相残り候ものは大般若経・信玄公・秀康公・大和守・虎頭御願書6通。目録6通右の外御座なく候。大献院様御朱印1通・常憲院様御朱印1通・当将軍様御朱印1通 右御用に付、委細吟味仕り差上げ候書面之通少しも相違御座無く候、以上、寛保元年10月 日 天台宗別当神宮寺㊞ なお、信玄等の朱印状文書は省略する。
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長野県立歴史館