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03OD0622103200
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山論水論裁許証文謄本 写
サンロンスイロンサイキョショウブン トウホン ウツシ
System.Int32[]
小県郡
1650~1884
慶安3年~明治17年
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この謄本には、慶安3年(1650)8月12日付の御裁許から延宝7年11月の御裁許・元禄7年閏5月の奈良原沢分水取替証文・同年同月の外木仕様法決定証・同14年6月御裁許・正徳3年8月御裁許・延享元年8月御裁許・明治15年11月始審裁判言渡・同16渡と12回に渡る判決が掲載される。具体例を第1号の慶安3年の御裁許でみよう。小県郡根津村(東御市)と上野国(群馬県)大篠村との山境論争である。絵図に付紙した川から南は祢津村の者は下草・下木を刈っても宜しい。御巣鷹山は、双方が一切入ってはいけない、という幕府の裁許状である。第2号では、小県郡井子村等5ヵ村(小諸領)と新張村等8ヵ村(祢津領)の奥山入会秣・薪争論につき幕府の裁許状である。このように、小諸領村々と祢津領村々との山論・水論の裁許状ないし判決が延々と明治17年(1884)迄続く。
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長野県立歴史館