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小県郡村誌 1~3 草稿
チイサガタグンソンシ ソウコウ
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小県郡
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この『小県郡村誌』は、長野県の通達により、昭和10年前後、小県郡の町村からその村の歴史・人数等を県に書上げたものである。その調査の時期は町村によりまちまちであるが、だいたい明治10年代と思われる。まず、常入村から始まる。①古時からの歴史「本村ハ往昔ヨリ小県郡須波郷ニ属シ、後常田庄ニ属シ(中略)常田村・踏入村タリ(中略)、続いて②村の境域、③管轄の沿革として「東鑑ニ文治2年3月、常田庄八条院御領トアリ、後海野氏ノ領知ニ属ス(後略)」、その後地味にふれ、さらに税地にふれる。田貫高128石314文、この高316石9斗3升6合(後略)。そのあとは、村の人数として男526口、女566口と記載し、社として大宮神社、古家神社。古跡として手筒山・古戦場・藤ノ森が登場する。最後に員外として古文書の其1・其2・其3が掲載され、明治14年(1881)10月の日付で常入村の村誌編纂人川上知儀等3人の署名でこの常入村の項を閉じる。他の小県郡に属する村々も、ほぼ常入村でみたような項目で、調査し書上げる。他の村々とは、上塩尻・林之郷・漆戸・下塩尻・上野・秋和・常盤木・小牧・上田原・御所・神畑・諏訪形・中之条・下之条・築地・小泉・富士山・下野郷・古安曽・手塚・別所・山田・野倉・中野・保野・舞田・八木沢・小嶋・越戸・殿戸・夫神・上田町・鳥屋・沖・上武石・下武石・下本入・上本入・余里・小沢根・五加・前山・本郷・十人・沓掛・奈良本・田沢・村松郷・当郷・仁子田・馬越・福田・上室賀・下室賀・侍陽・東内村・西内村・腰越・御獄堂・生田・上丸子・県・岡・和・芳田・蒼久保・大屋・国府・古里・祢津西町・祢津東町・姫子沢・岩下・新張・鞍掛・新屋・殿城・本原・吉田・大門・長久保新町・和田・長窪古町・下丸子・中丸子・長・藤原田・長瀬・塩川・住吉の91ヵ村である。
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長野県立歴史館