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天正十三上田合戦考 草稿
テンショウジュウサンウエダカッセンコウ ソウコウ
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小県郡
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徳川方と真田方との戦いは過去2度あった。その1つはこの天正13年(1585)であり、もう1つは慶長5年(1600)である。史料の出典は『編年集成』・『松栄東選』・『東遷基業』・『徳川記』・『管窺武経』の5史料にまたがり、それらをつむいで『上田合戦考』は展開する。真田昌幸は、家康に対抗するため,上杉景勝に援助を求める。これに応え、河田摂津・本庄豊前・安田上総及び信州の地侍栗田永寿・板屋修理・綱島豊後守・寺尾伝左衛門・小田切安芸らを真田の居城上田へ派遣する。これに対し、徳川家康は駿府の城に至り、真田を討伐するため、大久保七郎右衛門・鳥居彦右衛門・平岩七之助らを上田城に派遣する。このように、両軍の攻防を詳細に描いたものが、この「天正13年上田合戦考」である。なお、この戦いでは、閏8月には、真田昌幸・信幸父子は家康の大軍を迎撃し、神川付近で大勝した。
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長野県立歴史館