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松原社古文書 写
マツバラシャコモンジョ ウツシ
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佐久郡
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南佐久郡小海町豊里にある旧郷社で、祭神は建御方命・事代主命・下照比売命である。標高1,123mの松原湖のほとりに上社、北岸に下社がある。武田信玄は、信州・上州への進攻路にあるこの神社をとくに尊崇した。天文17年(1548)には社領安堵状、永禄2年(1559)には、「敵城悉く自落退散し、長尾景虎わが軍に向かわば、追北消亡せんことを」の戦勝祈願状を出した。同時に、神馬や銭の奉納をおこなった。この戦勝祈願状は、3年・4年にも出された。天文20年(1551)には、信玄武将の原虎頭の戦勝祈願があった。近世に入り寛永17年(1640)、京都の神道管領長吉田兼英は、松原大明神祠官畠山秀久に、風折烏帽子・狩衣の着用を允可している。社宝には、梵鐘(国重文)・銅製五鈷鈴がある。なお、明治期の廃仏毀釈により、当社は廃寺となる。(『角川日本地名大辞典』参照)
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長野県立歴史館