/ 12
  • 1

  • 2

  • 3

  • 4

  • 5

  • 6

  • 7

  • 8

  • 9

  • 10

  • 11

  • 12

  • 回転角
  • 輝度
  • 彩度
  • コントラスト
  • ガンマ値
  •  / 12

Loading...

画像ダウンロード

ダウンロードするファイル形式を選択して、ダウンロードボタンをクリックしてください。

ファイル種別選択

引用について

引用機能は画像の任意の領域を切り出して、URLを生成する機能です。

画像上で切り出す領域を選択してから、「引用する」を選択してください。

輝度等の変更した値は引用には反映されません。

上図を登録します。

よろしければ「登録する」をクリックしてください。

登録に成功しました。
以下のURL・HTMLタグから画像にアクセスできます。

コンテンツ情報

詳細

資料コード:

03OD0622200400

施設番号:

3

資料種別:

20

タイトル:

松原社古文書 写

タイトル(ヨミ):

マツバラシャコモンジョ ウツシ

サブタイトル:

サブタイトル(ヨミ):

分野:

System.Int32[]

場所(市町村名):

佐久郡

場所詳細:

緯度:

経度:

制作年(西暦):

制作年(西暦)詳細:

制作年(和暦):

制作年(和暦)詳細:

時代:

System.Int32[]

時代詳細:

制作者:

制作者(ヨミ):

大きさ(㎝):

資料解説:

南佐久郡小海町豊里にある旧郷社で、祭神は建御方命・事代主命・下照比売命である。標高1,123mの松原湖のほとりに上社、北岸に下社がある。武田信玄は、信州・上州への進攻路にあるこの神社をとくに尊崇した。天文17年(1548)には社領安堵状、永禄2年(1559)には、「敵城悉く自落退散し、長尾景虎わが軍に向かわば、追北消亡せんことを」の戦勝祈願状を出した。同時に、神馬や銭の奉納をおこなった。この戦勝祈願状は、3年・4年にも出された。天文20年(1551)には、信玄武将の原虎頭の戦勝祈願があった。近世に入り寛永17年(1640)、京都の神道管領長吉田兼英は、松原大明神祠官畠山秀久に、風折烏帽子・狩衣の着用を允可している。社宝には、梵鐘(国重文)・銅製五鈷鈴がある。なお、明治期の廃仏毀釈により、当社は廃寺となる。(『角川日本地名大辞典』参照)

コンテンツ種別:

1

二次利用条件:

1

コピーライト表記:

長野県立歴史館

権利関係

CC0
メニュー
サイドバー
前のページに戻る
次のページに進む
最初のページに戻る
最後のページに進む
画像の拡大
画像の縮小
ホームに戻る
幅に合わせて表示
高さに合わせて表示
画像左90度回転
画像を元の角度に戻す
画像右90度回転
画像を-5度回転
画像を5度回転
スライダーパネル
ページャーパネル