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(浅間岳焼)天明信上変略記 天明信州上州変略記 写
アサマダケショウ テンメイシンジョウヘンリャクキ テンメイシンシュウジョウシュウヘンリャクキ ウツシ
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佐久郡
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浅間焼け天明信州上州変略記。天明3年(1783)4・5・6月噴火、7月5~8日大噴火、軽井沢宿・峠町に大石・火玉降り家多数焼け潰れ、碓氷峠道途絶、佐渡への囚人駕籠は高崎へ帰る、大名行列も滞る、11月頃道は開けたが馬無く御用継送りは背負い歩いて運ぶ。北上州へ噴石等押出し、すべての穀物は高値となり、庶民困窮し、騒動が9月29日の夜から上州で起り、酒屋・穀屋等焼き払われる。騒動は信州へも及び、沓掛宿の蔦屋、岩村田宿布袋屋等が潰される。佐久郡被害村16、小県郡10ヶ村、両郡合わせて62軒が焼かれたり潰されたりした。これに対し上田藩が暴徒を阻止、松代・松本・高島藩なども兵を出して固め、沈静化した。高崎から軽井沢迄作物は皆無。暮の餅つきなし年始の礼も中止。木曾では尾州侯が一人宛て一合の米を出し毎日粥にして施した。川上筋では藁餅をこしらえて飢えを凌ぎ、このため藁がなくなり馬の餌なく、松葉を食わせたという。
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長野県立歴史館