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田之口山宮氏古文書写
タノグチサングウシコモンジョ ウツシ
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佐久郡
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佐久地方開拓の神を祀ったという新海神社に関する神官山宮氏の古文書である。諏訪明神の子が佐久地方を開拓、開田の初めの地名「田の口」が残り、「新開明神」が祀られ、今の「新海神社」となったという。嘉祥(かしょう)2年(849)、山城守長慶田口神宮寺三重塔を造立の事。応永20年(1413)足利義政、田口郷友野城主が義政のために祈願したことを謝する文書がある。永禄8年(1565)2月、武田信玄上州箕輪城攻めに当たり新海大明神に祈願文と太刀一腰奉納。寛永15年(1638)正月、山宮神主から奉行へ宛てた願書に「新海三社大明神は昔源頼朝建立の明神で、その後武田信玄が再興した、近頃破損し普請もままならないので御公儀様から造営を仰せつけて頂くようお願いします」とある。文化13年(1816)三石氏一党が三重塔葺き替え再興した、などの古文書の写しが多数あり、この新海大明神が由緒ある神社であることを伺い知ることができる。
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長野県立歴史館