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大田山龍雲禅寺実録 開祖天英祥貞禅師行状略 写
オオタヤマリュウウンゼンジジツロク カイソテンエイショウテイゼンジギョウジョウリャク ウツシ
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佐久郡
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佐久市岩村田の龍雲寺開祖祥貞禅師の行状概略を13世洞雲髑冲が記したもの。祥貞は播州の人で姓は藤氏、天英と号した。奈良で密教の灌頂を請け、関東に出て上野後閑(安中)長源寺三世となり、明応2年(1493)佐久郡大井城主玄慶が祥貞のために龍雲禅寺を興し宗風大いに盛んとなり、祥貞は水内郡槇島の興禅寺、長沼の妙笑寺、高井郡須坂の興国寺等の開山となった。永正8年(1511)3月24日下野成高寺で死去、99歳という。龍雲寺は曹洞宗であるが大昔は臨済宗で大井郷端下平にあった。その後小笠原七郎が入部の後、嘉禄元年(1225)岩村田館で亡くなり龍雲寺の大旦那となった。その後何度かの戦争や火災に遭い記録は失せたが、大井氏から200貫文の地を寄進され、文明13年殿堂造営、祥貞大和尚を迎えた。明応3年、旧地を棄て城西に寺を再興した。曹洞開祖天英祥貞、2世瑞翁如鱗、3世賀山承慶、4世徳翁祖昌、5世陽山孝順、6世桂室清嫰。
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長野県立歴史館