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03OD0622206100
3
20
依田記
ヨダキ
System.Int32[]
佐久郡
1870
明治3年
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依田常陸之助一代について知っているところを書きつける。常陸之助は天文17年(1548)生れ、幼名源十郎、天正9年(1581)に常陸之助、信蕃と名乗る。始め信玄証人として諏訪高島城に、のち御嶽城に居た。信玄の今川退治に駿州へ参加、元龜3年(1572)三方原の戦に参加、二俣城に在城し家康の攻撃を持ち堪え談合にて城を明け渡した。その後遠州高天神に在陣、天正6年頃越後の景勝を追討、天正10年武田滅亡により信蕃は駿河田中城から3月14日に小諸へ帰城する。信長から常陸野助へ切腹の命があったが、二俣の奥に隠れており6月2日信長の死により6月20日頃小諸へ帰る。常陸之助は春日山の奥三沢小屋に籠り氏政之兵糧を奪い取った。このため家康から感状を頂く、年末には昨日まで敵味方の者が皆譜代の被官となり仕合せ満足の旨申し合い、翌正月家康様42歳のお祝いをした。権現様御朱印、秀忠公書付等所持したのは依田家支族源十郎也、右依田鄭蔵本より
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長野県立歴史館