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03OD0622206300
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御郡中むかし成貫田帳
ゴグンチュウムカシセイカンデンチョウ
System.Int32[]
佐久郡
1610
慶長15年
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佐久郡では長い戦乱と依田康真家臣団の転出のため荒廃していた。仙石秀久の検地は貫高制のまま文禄4年(1595)に実施し年貢徴収の基礎を固めた。石高制への移行は遅れ貫高と石高とが併用されていた。一貫文を1石7斗5升6合として石高制に切り替えたのは元和3年(1617)で、これで石高表示の村高が決まり郡高は6万12石4斗になった。この間慶長15年(1610)10月16日にできたのがこの貫高帳である。領内の郷村をいくつかの集合体にまとめて支配した。この帳面では、次の4組で、長右衛門組(手城塚組ともいう、小諸等66ケ村)9389貫680文、望月組(望月・春日・比田井等32ケ村)10431貫文、畑村組(小宮山・野沢・小田切等48ケ村)6960貫20文、田之口組(中込・田之口等27ケ村)7024貫文、合計33804貫700文となっている。なお、村数は重複等有り実数不明、貫文の数字も集計すると合致しない部分あり)
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長野県立歴史館