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八詠楼ノ記・八人塚碑
ハチエイロウノキ・ハチニンヅカヒ
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佐久郡
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諏訪湖畔に築かれた高島城御殿の池にカキツバタが繁茂し水鳥がいる。池を隔てて八詠楼という亭がある。郡主は日々この亭に遊び花を愛で釣りを楽しむ。楼の高さは1丈あまり、決して華美ではなく風景を見る便とするのみ、楼の眺めのひとつは夏の夜の花火、湖に出入りする舟など、「信濃なる衣ケ崎に来てみれば富士の上漕ぐ海士の釣り舟」殿の庭に温泉湧出、郡主是に浴し家臣もその末流に浴す。このように楼の遠近の眺めを記している。八人塚は、武田信玄が弘治2年(1556)「信州伊奈退治」をした際、黒河内隼人ら伊奈八将が最後まで抵抗し、ついに召し捕られ狐島(伊那市)ではりつけにされた。里人はひそかに入野谷の黒河内村に八人を葬ったという、嘉永3年(1850)高遠藩儒者中村元恒が八人塚の由来を調べ「八人塚碑記」を記した。八将とは、黒河内隼人・殿嶋大和守・溝口民部少輔・松嶋豊前守・春日河内守・宮田左近正 小田切入道某・上穂伊豆守である。
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長野県立歴史館