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03OD0622209400
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(北佐久郡)津金寺文書 写 一通
キタサクグン ツカネデラモンジョ ウツシ
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佐久郡
1572
元亀3年
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津金寺は立科町山辺にある天台宗の寺、8世紀初頭行基開創の言い伝えあるが、鎌倉時代以後滋野氏の尊崇が厚かった寺、14世紀に比叡山の学校、修学院として天台・真言・法相禅の四宗兼学の道場となった。佐久に進出した武田氏もこの寺を保護し、四宗兼学の道場から天台宗への改宗を停止させているのが、この武田信玄朱印状である。「定 天台宗から他宗に改めるのは余儀ないことか、天台の末寺である以上、津金寺は旧規に復し顕教密教共に学ぶべき比叡山の法則に従うよう佐久郡の末寺を同意させるべし、異論を唱えるものがあったら津金寺から報告せよ、同意しなければ、たとえ京都東寺の大物でも追放すべきである、元亀3年(1572)8月5日信玄朱印跡部大炊助奉之 津金寺」この朱印状の翌年信玄は死去し、後は勝頼の代となる。その後、津金寺は信長の兵火に遭ったが天正中小諸城主松平康国が再興した。
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長野県立歴史館