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(南佐久郡)貞祥寺文書 二通 写
ミナミサクグン テイショウジモンジョ ウツシ
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佐久郡
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武田信玄が貞祥寺に出した、寄進状と法度である。貞祥寺は佐久市前山にある曹洞宗の寺で、大永元年(1521)、前山城主伴野貞祥が父祖追善のため開基し、開山の叔父徳忠禅師が貞祥の名を寺名とした。武田信玄がこの寺に帰依し永禄7年(1565)に寺領を寄進した。①定 信州佐久郡貞祥寺領伴野の内100貫文の事、右為本寺領の間不可有相違の状如件 永禄7年8月1日信玄「印」貞祥寺。②法度 1山林竹木伐□の事、2殺生之事、3寺中門前屋敷違乱の事、右条々如件 永禄7年8月1日 信玄「印」貞祥寺。貞祥寺へは、信玄以後、天正15年(1587)松平康国が寺領安堵、慶長2年(1597)小諸城主仙石秀久も100貫文寄進、さらに徳川氏も寺領15石を寄進している。
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長野県立歴史館