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信州砂古 筑摩安曇両郡開基 地誌草稿
シンシュウサコ チクマアズミリョウグンカイキ チシソウコウ
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中信
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松本藩領内の寺社の縁起などが「筑摩安曇両郡開基」にほぼ年代順に記され、最初に「信州有明の里は12代景行天皇12年までは両郡海也」で始まり、以下、川合大明神・砂田大明神・保高大明神の開基、牛伏寺の縁起などが記されている。その後は現大町市の仁科氏の森城、島立の清水城、その他中小諸城記で、以後に松本城主の入部が列挙される。途中に信州拾郡高記があり、最後は、水野家の「隼人正忠恒公殿中におゐて乱気にて毛利へ手疵を負わせ秋元伊豆守殿へ御預け松本城地御取上、松本城請取〈真田伊豆守殿〉〈御上使〉 伏見織部殿」など享保10年の松本藩領が幕府に没収された事件に関する記事である。この「砂古」は松本城主6代目忠幹が家臣に命じて編集させ忠幹死後、7代目忠恒が序文をつけて享保9年に完成した「信府統記」のために作成された資料の一部と推測される。
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長野県立歴史館